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2005年 12月 23日
その電話がかかってきたのは、11月初めのことだった。ボイスメッセージに残っていたメッセージは、「日本人向けのハリケーン被災者基金を設立したので、その件についてお話したい」とのこと。「日本人被災者のためのカトリーナ・リタ基金」を主催するルイジアナ州立大学の賀茂さんからの電話。ニューオリンズ総領事館から僕のコンタクト先を聞いて連絡してきたようだ。
彼から聞いたルイジアナ・ミシシッピ湾岸部の日本人の被災状況は想像を絶したものだった。 - Maxで11フィートの冠水で2階のフロアまで水が入り、1階は壊滅状態。2階は冠水しなかったものの家具などは全てボトムが腐っており回収不可能。本や洋服もほとんどカビで覆われており唯一回収できたのはパスポートや書類防カビ加工されていた洋服くらいのものでした。 - 初めてのアメリカ生活で、どこをどう逃げたら良いかわからず、なんの救済もなく、911もつうじず、たったひとりでアパートにいました。誰もたすけてくれす、一晩中、アパートはゆれつづけ、水は滝のように屋根からおちてきて、1週間電気も水もなく、熱中症になり、友達の家に居候し、追い出され、アパートも危険廃屋になり追い出されてしまいました。 - 私達は、全て失いました。家具、車、衣類、そして、日本から持ってきた思い出の品等、値段をだせない物もあります。家族の一員だった犬達も失いました。私達は、全て、思い出の品さえ失った上に、全ての貯金を使い果たして、新しい生活を始めています。 ***** 会社としては公式にAmerican Red Crossへ50万ドルの寄付を行ったり、ピックアップを寄付したり、従業員にもAmerican Red CrossやMississippi Hurricane Recovery Fundへの義捐金を募ったりしている(会社が従業員の寄付と同額を寄付として拠出する"Matching Program")。 米国法人である会社から直接、特定の人種向けの支援を引き出すのは難しいだろう。かといって、既に多方面に寄付を行っている日本人関係者に伝えても、「またか」と捉えられ、趣旨に賛同してもらえるか分からない。それでも何とか、何がしかの協力をしてあげたい。悩んだ挙句、もう一度LAやデトロイトを含め、200名を超える米国全体の駐在員に上記のような被災状況を伝え、義捐金の依頼を行うことにした。 加えて、ミシシッピ州の日本人会とも調整をして、1,000ドルの寄付金を拠出してもらうお願いをした。日本人会の活動資金は日系企業が負担しているので、結果としては企業寄付とほぼ同じ形になる。 ***** 駐在員からの義捐金は、ふたをあけてみると多くの方からのご協力を得ることができ、アメリカ全体で1,255ドルもの金額を頂くことができた。多くの人が「日本人がこれだけひどい状態になっているとは知らなかった」「少ない額だけれど、何かの足しになれば」と大変好意的な反応を見せてくれた。合計で2,255ドルを、クリスマス前に被災者基金の方に発送することができた。ふだんの仕事とは全く関係ないけれども、自分が声をかけなければこれだけの金額は集まらなかったことを考えると、立派なAchievementだと思う。また、会社のCSRの観点からも意味深いものだっただろう。被災者の方へのよいクリスマスプレゼントになれば、と願わずにはいられない。 「世の中には困っている人がいて、自分はその手助けをすることができる」当たり前のことなんだけど、日本にいてはなかなか考えることも実践することも難しい(というか、ふだんは考えもしない)。アメリカで生活し、またハリケーンという得難い経験を通じて学んだ"Each one, Reach one"の精神を、これからも忘れないように心がけたい。 #
by 1yawatam
| 2005-12-23 21:25
| ハリケーン・カトリーナ
2005年 12月 21日
今日は、2005年の仕事納め。
前の会社では年間就業時間の関係で最終日の午後は必ずお休みになっていたので、事前に酒を買いこんでつまみをケータリングして、職場で大宴会。それが終わると(といってもまだ4時くらい)、大体は外に二次会、三次会に行っていたものだった。アメリカでは当然そのような習慣はなく、簡単に職場と日本人関係者に挨拶をして、さっさと退出。 帰りにワインとステーキとチーズを買いこんで、アパートの部屋でNapaとSonomaの飲み比べ。一年に一度くらいは、こういうのもありかなと。 Merry Christmas and happy holidays! #
by 1yawatam
| 2005-12-21 11:34
| 仕事
2005年 12月 18日
今日はクリスマスギフトの買出しに行った。クリスマス前の週末、バーゲン期間中ということもあり、いつも行くNorthpark Mallは大混雑。たぶん今日が、一年で一番混雑する日なんだろう。
プレゼントは、アトランタに住むホストファミリーに送るものである。メーシーズやJCペニーなどデパートを見て回って、一通り買い集めたのが以下の品々。 ・ポロシャツ→息子 ・ハンドバッグ→息子の奥さん ・マグカップ(ミシシッピらしいデザイン)→母 ・ゴルフ用小物(マーカーやブラシが一体になったもの)→父 ・リップグロス→娘 あまりに混雑していてラッピングを頼むと時間が掛かりそうなので、そのまま持ち帰って自分で包むことにした(米人にやってもらうくらいなら、自分でやってもできばえはあまり変わらないだろうし)。明日、Wal-Martに行って包装紙を買ってこなくては。。。 日本にいると忙しくてなかなか難しいけど、比較的時間に余裕のあるアメリカ生活でこのようなことを考えるのも、なかなか良いものです。この心のゆとりを、日本に帰ってからも忘れないようにしたいものである。 #
by 1yawatam
| 2005-12-18 14:06
| 生活
2005年 12月 16日
テネシー出張の帰り、例によってコーポレートジェットに乗ったのだが、いつものN240Zという比較的新しい飛行機が3年に一度の点検だとかで、代わりに双発のオンボロプロペラ機に乗る羽目に。この機内が寒いこと、寒いこと。自分だけかと思ったら、一緒に乗っていた米人の女性も"It's like in refrigerator"といっていたので、これは相当な寒さだったのだろう。
機内でうとうとしていたら、そのうちに暖房が効いてきて到着するころには汗をかくほどの熱さ。降りて気がつくと喉が痛い。典型的な風邪の初期症状である。喉が腫れて熱が出るのがいつものパターン。経験上、家で寝て安静にしていてもなかなか治らないし、医者に行っても大した薬はもらえない(アメリカの場合、軽い症状の風邪は自然治癒が基本)ので、結局休まずに会社に出ることにした。 そのような体調の悪い中ですが、行ってきました"Christmas Carol"第二弾。といっても、今回は教会ではなく、地元ジャクソンの劇団が演じる、Charles Dickens原作の小説「クリスマス・キャロル」をベースにした演劇。会社が協賛している関係で、$12のチケットが$2で購入できた。7:30pm開演ということで、7時頃に会場の”New Stage Theather"に到着。キャパシティが400人ほどのこぢんまりしたところで、金曜の夜ということもあり、ほぼ満席状態。家族連れの姿が多く目に付く。確かに、子供たちと一緒に見るにはぴったりのテーマの作品だろう。 前から4列目の席に座って、入り口で渡されたパンフレットを読んでいたら、後ろから"Hey, Max"と声をかけられる。後ろを振り向くと、同僚のRebekahの姿が。会社の広報担当の女性で、仕事上でつながりがあっていろいろお願い事をしたり、お願い事をされたり、という関係だ。隣には人のよさそうな彼氏の姿が。幕が開くまでの間、しばし雑談。 「冬休みは日本に帰るの?」 「いや、嫁さんが日本から来て、一緒にフロリダに回る予定」 「That's good! もう、アメリカのいろいろなところに行ったの?どこが気に入った?」 「今まで行った中ではシカゴかな。とても綺麗な街だったね」 アメリカ人は、他の外国人とのコミュニケートに慣れているかどうかという点で、はっきり二極化する傾向があると思う。ミシシッピで会う人の9割方はノンネイティブの外国人との付合いに慣れていなくて、言葉の問題以上のコミュニケーションの壁を感じることが多く、残りの1割は逆にそれほど労せずしてコミュニケーションをとれる。例えば、外国人の多い都市部はこれが7:3だったり6:4だったりするんだろう。レベッカは、彼女の仕事柄もあって、間違いなく後者の一割に属すると思う。こちらが理解できないと分かるとゆっくり話してくれたり、すぐにパラフレーズしてくれるし、また会話のテンポが遅くなってしまうのも辛抱強く待ってくれたりするので、意思疎通が図れなくて感じる居心地の悪さをこちらにほとんど感じさせない。何かの本で、「日本語が下手な人は英語も上達しない」という趣旨を読んだことがあるが、これは言葉のできるできない以前に、基本となるコミュニケーション力の大切さをも示唆しているのだろう。 そうこうしているうちに幕が開く。クリスマスの日に食べるものもなく路地裏で貧しい生活をしている子供たちに、若者がスクルージ爺さんの話を聞かせるという筋立て。コメディータッチで、話されている英語のDetailが分からなくても十分に楽しめる。いろいろな形で原作からのアレンジがされていたのだが、興味深かったのは話の聞き手が途中からストーリーの中に登場人物として入っていくくだり。小説や映画では不可能な、演劇ならではの語りの手法といえるだろう。最後にスクルージ爺さんが改心して、「本当にわしをクリスマスーパーティに招待してくれるのか?」とクラチット一家に聞くシーンは思わずホロリ。 聴衆同士も知り合いが多かったようで、そこかしこで挨拶を交わす声が聞こえる。「おらが町の劇団を盛り上げよう」という親密な空気の中、400人中おそらく一人だけだったであろう異国人の僕にとっても十分に楽しめる1時間30分だった。クリスマスの精霊が出てくる場面で焚かれる煙が観客席まで流れてきて、喉を刺激するのにはちょっと閉口したけれど・・・ #
by 1yawatam
| 2005-12-16 13:29
| 生活
2005年 12月 13日
北米オペレーションを統括する、Los Angeles本社のナッシュビル近郊への移転が正式に決まって1ヶ月。1,300人といわれる米人と比べるとごくごく少数だが、日本人駐在員も30家族程度がテネシーに引っ越すということで、こちらでHRを担当しているカウンターパートのMさんと一緒に、第一回目の現地視察へ行ってきた。
同じ米国内の異動とはいえ、日本でいうと本社が東京から広島へ引っ越すような感じなので、日本人家族にとっても大きな影響が想定される。まず、生活環境の劇的な変化。LAの駐在員の子供はほとんどが日本人学校に通っているが、ナッシュビルには日本人学校がないので、必然的に現地校に通わなくてはならない。奥様方にとっては、LAでは基本的に日本語で生活できるインフラが完全に整っているが、ナッシュビルではそこまで日本人コミュニティが発達していないため、日本語のみでの生活というのは事実上不可能である。奥様方も、嫌でも英語でサバイバルしなくてはならない(本来、それが自然な姿なのだけど)。 加えて、福利厚生を含めた待遇面の変化。物価の安いナッシュビルでは、COLA(生計費手当)が下がるため、ネットの給与がそのまま下がることになる。COLAは、全国で物価があまり違わない日本では馴染みの薄い概念だが、アメリカに住んで地域ごとに物価の違いを実感するとしみじみ納得するものである。例えば、ガソリンもテネシーやミシシッピでガロン2ドルでも、カリフォルニアでは2.5ドルだったりする。同じブランドの同じ食料品も違う値段で売られたりしている。出向者にしてみると社命で転勤になった上に給与が下がってしまうため、頭では分かっていても心からは納得できないところだろう。 そのほか、やはり大きいのは住まいの話。引越し自体も負担なのだが、加えて各人の希望するような貸家を見つけることができるのか、大多数を占める米人たちに家を押えられてしまわないかという懸念もあり、現時点ではかなり不透明である。 ふだんあまり会社の表舞台に出てこないHRが前面にたって、このようなRelocationの条件を固め、従業員へ十分な説明と情報提供を行い、不安を解消しスムーズな移転をサポートすることになる。今日の現地視察はそのような事情から、移転の際にHostになる我々の側での情報収集を目的としたものだった。 移転先のCool Springsは、I-65のExit68~70周辺。オフィスが立ち並び、近くに綺麗なショッピングセンターがあり、少し行くと豪邸が立ち並んでいるエリアである。冒頭の写真はオフィスエリアから車で3分くらいのところにある住宅街。お城みたいな家が立ち並んでいる。ベッドルーム数で7から10は優にありそうな大きさ。家を眺めていたらレクサスに乗ったおばさんが通りかかって、「ここは私の家よ」と誇らしげに言って立ち去っていった。Mさんの話では、値段は$0.5mil程度じゃないかとのこと。さて、この6,000万円を安いと見るか、高いと見るか。。。 #
by 1yawatam
| 2005-12-13 15:00
| 仕事
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